『ノートルダムの鐘』 観劇感想

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劇団四季の新作ディズニーミュージカル、『ノートルダムの鐘』。

12月から開幕していますが、やっと行ってきました!

久々の四季ミュージカル。
(四季以外では感想を上げられていない『ヨセフと不思議なテクニカラードリームコート』や
『RENT』もあるので今更ながらそのうち書きたい。。)
ましてや秋劇場とかほんとに何年ぶり、って感じで
向かう道がすでに懐かしかったです。

劇団四季の手掛けるディズニーミュージカルは
『美女と野獣』、『ライオンキング』、『アイーダ』、『リトルマーメイド』、『アラジン』に次いで
これで6作目。

個人的には最初の2作が群を抜いて素晴らしいと思うのですが、
(『アイーダ』はわりと名曲もあるんだけど壮大なはずのセットとかをかなりデフォルメした感じが気になった。。
『リトルマーメイド』、『アラジン』については小さな子どもも楽しめるファミリーミュージカル要素が強いので好みが分かれるところ)
この『ノートルダムの鐘』はどうだったかと言うと…

個人的には、「うーーーーーん、、まあ、、、嫌いでは、ない…」
というちょっと煮え切らない感想でした(笑)

 

以下、初回なので核心的なネタバレは避けて感想を書きますが、
細かく内容に触れるところもあるかもしれないのでご注意ください。

はっきり言って、この『ノートルダムの鐘』は大人向けのミュージカルです。
曲や登場人物はもちろんディズニー映画が基になっているけれど、
「ディズニーミュージカル♪」みたいなイメージとはけっこうかけ離れています。
コメディ要素はほぼ皆無。

 

そもそもこの作品の原作はあの『レ・ミゼラブル』の著者、
ヴィクトル・ユゴーの『ノートル=ダム・ド・パリ―1482年』という本で、
ミュージカルはディズニーの曲を使用しつつも、
原作に寄せて作られているそうです。

ディズニー映画より暗く、より深刻に。

パンフレットの中に「まるで密室劇のように濃密な物語」という表現があるのですが、
この表現は的を射ているなと思いました。

 

全体的に暗く、
ノートルダム大聖堂やパリの街、ジプシーの隠れ家、などなど場面は変わっていくんだけど、
舞台上には終始、どこか閉鎖的な空気がただよっているのです。

でもドラマチックな曲の荘厳さには、この雰囲気は合ってると思う。

そんなわけで、内容に触れていきたいと思います。
まずはこの日のキャストから。

人が多くていつも全然上手く撮れないのですが(笑)

カジモドは飯田さん。
フロローは芝さんでした^^

この舞台には男女のクワイヤ(聖歌隊)もいて、
ずっと舞台上方に座って、
時に立ち上がってうたい、迫力を出してくれています。
それがひとつの特徴かな。

だいぶ違うけど、そういえば『春のめざめ』もアンサンブルが舞台上の席に座ってうたったりしてたなあ。
四季の『春のめざめ』とかもはや遠いむかしの記憶。。

 

プロローグは生まれつき奇形であるノートルダムの鐘つき男、
カジモド(「出来そこない」の意)の出生の秘密。

新作ミュージカルは久々すぎて、なんか「生の舞台を観ている」という感覚だけでちょっと体が震えた。
ノートルダムはミステリアスで重厚感のある曲が素晴らしいと思う。
これもアラン・メンケン氏作だなんて本当に天才だなあと思いながら鑑賞。

カジモド役の飯田さんが舞台に現れて、鐘を鳴らすまでのシーンはちょっと鳥肌ものでした。
他の大道具はそこまで力を入れた感がないんだけど、鐘はやはり代名詞なだけあるなあと。

 

ノートルダムの大助祭、フロロー役の芝さん。
とても好きな役者さんなんだけど、
フロローが嫌な奴すぎて(笑)、一切好感を持って見られずちょっと寂しかった(笑)

でもフロローって心情的にもものすごく難しい役だと思う。
そしてあのいけ好かない空気を序盤から出せる芝さんはやっぱりすごいなあと思いました。

 

あと、もうひとつこのミュージカルの特徴は、
ちょいちょい役者によるナレーションが入る、ということだと思います。

だからと言って現実に引き戻されるようなことはなく、
上手くナレーションを物語に溶け込ませた演出だなあと思った。

というわけで、物語は本編へ。

 

怪物のような見た目をしているため、
フロローから外に出ることを禁じられているカジモドの話し相手は大聖堂の鐘と石像たちだけ。

石像はディズニーのような陽気なガーゴイルではなく、
人の姿をした石像。
カジモドに優しく語りかけ、ストーリーを動かしていく役目も担っています。

年に一度の祭り、「トプシー・ターヴィー」の日。
今まで外に出たことがなかったカジモドは、
人ごみに紛れることができれば大丈夫かも、という期待から
1人でパリの街へ出かけます。

ここでヒロインであるジプシーのエスメラルダや、大聖堂の警備隊長フィーバスも登場。

エスメラルダの魅力にカジモド、フィーバス、そしてフロローまでもが彼女に恋してしまうのですが、
その分魅力的に演じなければいけないエスメラルダも大変な役だなあ…。

と思いつつ、私にはいまひとつエスメラルダやフィーバスの魅力がわからないのです。。
少し『カルメン』を彷彿とさせる要素もあり、そんなところは素敵だなあと思うんだけど。
あまり心を打たれるようなシーンがないからかなあ。。

街の人たちに姿を見られ、暴力を受けて打ちひしがれるカジモドを見ているのはやっぱり心が痛みました。

 

この作品を見ながら、
他にも奇形であったり、みんなと違う見た目をしていることで生まれつきハンデを背負っている登場人物を題材にしている作品のことを考えていました。

『オペラ座の怪人』は醜い顔をした怪人(ファントム)が周囲から恐れられていたし、
『WICKED』も緑色の肌のエルファバがさげすまれているんだけど、
カジモドと違うのは、ファントムやエルファバには周囲に一目置かれる才能があるということ。

対してカジモドは、力は少し強いかもしれないけど、
上記の2人のような特別な才能が備わっているわけでもなく…。

それでもなぜ彼を主人公にするのかと言うと、
ヴィクトル・ユゴー的にはカジモドは中世のパリにおける力のない民衆の象徴でもあったのだろうし、
特別な力はないけれど、ピュアで自分の愛するものを守ろうとするカジモドの姿に、
やっぱり観客は胸を打たれるものだからなのかな、と思いました。

 

物語はこの後、エスメラルダをめぐる3人の男によって展開し、
フロローは力でエスメラルダの愛を得ようとして悪の道に走り、
フィーバスは隊長の座を降りてでもエスメラルダを守ろうとし、
カジモドもまたエスメラルダを危険から退け、彼女と共にいたいと願うのですが、
彼らの歌声が重なる一幕最後はやっぱり良かった。

ものすごい衝撃や感動があるわけではないけど、
やっぱり一幕最後は二幕への期待を募らすことのできる、
こういった演出でないとな、と思いました。

そして二幕でも物語はあれよあれよと展開するのですが…。

 

ラストはけっこう衝撃でした。
きっと賛否両論あるでしょう。

でも「何か」はそれぞれのお客さんに届くだろうし、
制作サイドが届けたかったことを届けるには、
あの締め方が相応しい、という結論があっての締めだと思います。

私はあるナレーションの一節で涙したのですが、
詳細についてはまたの機会に。

 

1人で何かの世界にどっぷり浸りたい時なんかに観るのも良いかなあと思います。

劇場移転の関係で今回の上演期間はあまり長くはないですが、
重厚な世界観を味わいたい方はぜひ!

 

Liebe Grüße,
Natsuru

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