『ノートルダムの鐘』 2回目観劇感想

約1ヶ月ぶりに、劇団四季『ノートルダムの鐘』を観てきました!
(2017年4月15日(土)ソワレ)

前回の初観劇では、「うーん、まあ、嫌いじゃない…」という微妙な感想を抱いたものの、
話題の新作ミュージカルは2回くらいは観てみることにしているので、もう一度。

個人的にはそこまで気に入るミュージカルではなかったので、どうかなあと思っていましたが、
結果的に「2回観て良かった!」と思えたミュージカルでした。

初見では全体のストーリーを追いながら観ていたのに対し、
2回目は各登場人物の心の動きを丁寧に追いながら観る余裕があったのが良かったのかも。

前回あまり納得がいかなかった部分も、登場人物の歌や台詞をよくよく聞いてみると、
ああ、こういうことだったのかなあ、と私なりに解釈することができた気がします。

以下、2回目の感想を書いていきます^^

今回の感想はネタバレを含みますので、
ネタバレOKな方のみご覧ください。

まずは今回のキャストから!

メインキャストは前回観た時とほぼ同じで、エスメラルダだけ初見でした。

欲を言えば海宝さんのカジモドを観てみたかったけど、
またいつかの機会に…ということで。

では、ここから気になった部分を中心に内容に触れていきたいと思います。

<第一幕>

★プロローグ

この物語の主人公、ノートルダムの鐘つき男、カジモドの出生の秘密が語られます。

ディズニーの映画では大助祭フロローとカジモドは赤の他人ですが、
ミュージカルでは、カジモドは実はフロローの弟、ジェアンとジプシーの女の間に生まれた子ども。

カジモドはフロローの甥に当たり、2人は血縁関係があるのです。
(おそらく、カジモド本人はその事実を知らない)

プロローグでは真面目に勉学に励む兄クロード・フロローと、
容姿に恵まれ奔放に生きる弟、ジェアン・フロローの仲睦まじい様子を観ることができます。

生真面目な兄のフロローにとっては、ジェアンは世話が焼けるけれど放っておけず、
どこか羨ましく思える面も持っている存在。

ある日兄のためを思ってジプシーの女を聖堂に連れ込んだことがきっかけで、
ジェアンは聖堂から追放されてしまいます。
そしてジェアンとジプシーの娘の間には子どもが生まれるのですが、
彼らは子どもを残して病死。

その子どもを託されたのが、兄のフロロー。
彼は子どもの醜い姿を見て、塔の上から地面に落として殺そうとしますが、
踏みとどまります。

そして「カジモド(出来そこない)」という名前をつけ、
鐘つき塔から出ることのないように言い聞かせながら、
ジェアンが学ぶことのなかった神の教え等々をカジモドに教えて聞かせるのです。

このプロローグは実は非常に重要で、
フロローの人格を形作っただけでなく、
作中にフロローが取る行動の根源はすべてこのエピソードから来ているように思います。

フロローは弟を心から愛していて、
彼を失っても尚、その存在に固執し、どこかに弟の姿を求めているんだと思う。
そして弟を死に追いやった(と彼が思っている)ジプシーへの憤りも、ずっと心の底に持ち続けることになるのでは、と。

これは物語に直接は関係ないけど、
フロローとジェアンはもともと孤児であったという設定なので、
実は彼ら自身もジプシーの子どもである、というのもあり得ない話ではないかなと思う。

とか、つい深く考えてしまいそうになります。

このプロローグの後、カジモドが普通の人間の背格好で登場して、
舞台上で怪物と呼ばれる姿に変貌を遂げるのは上手い演出だと思う。

この物語には「普通の人間と怪物、どこが違うのか」というテーマがあると思うんだけど、
そのテーマに沿った演出だと思います。

★陽ざしの中へ

鐘つき塔からパリの街を見下ろすカジモドの歌。

ミュージカルではカジモドが生まれつき背負っている、あるいは後天的に背負った(耳がよく聞こえないなど)障害がよりリアルに描かれていて、
口調も流暢ではないのだけど、そこが一段と愛しく見える要素になっていると思います。

純粋無垢な彼の姿はとってもかわいらしい。

歌になるとそこはやはり飯田さんの美声がとどろくのですが、
たどたどしいしゃべり方から美声への転換が上手いなあと思います。

★トプシー・ターヴィー

年に一度のジプシーたちのお祭りを見に行こうと、生まれて初めて塔の外に出るカジモド。

ここで物語のヒロイン、ジプシーのエスメラルダや大聖堂の警備隊長、フィーバスも登場。

エスメラルダはカジモド、フィーバス、フロローを虜にしてしまう女性なわけで、
その魅力をどう演じるかが難しいなと思うんだけど、
宮田さんのエスメラルダ良いなあーと思いました。

飾らない、自然体なエスメラルダの魅力が出ていた気がする。
奔放なところもあるけど素直で思いやりがあって、自分の心に正直に生きるところがやっぱり彼女の魅力なんだな、と今回観ていて思いました。

で、なぜ大の男3人がそんなにエスメラルダに惹かれるのか、
そこを今回重点的に観ていたんだけど…。

カジモドが惹かれるきっかけはもっとも純粋でわかりやすい。
醜い姿のせいで民衆に襲われた時、まるで自分のことのように心配して助けてくれたエスメラルダ。
カジモドにとって、そんな存在に出会うのは生まれて初めてだったはず。
そんな彼女に鐘つき塔を見せてあげたり、自分も教えてあげられることがあるのが、またたまらなく嬉しかったんだろうと思います。

フロローはジプシーを忌み嫌いつつも、
素直で奔放なエスメラルダの中に、弟ジェアンの姿を見たのだと思う。
結局、彼は最初から最後まで弟を失った悲しみにとらわれている、ある種かわいそうな人物。
生真面目なあまり、自分の心を器用に表現すること、コントロールすることができず、
エスメラルダの心を無理やり手に入れようとした結果、自分でも引き返せないところまでずるずると落ちてしまう人。

フィーバスはただの明るいイケメン、と思ってしまいがち(私だけ?)なんだけど、
実は彼が登場シーンで語る「4年間(あれ、5年だっけ)戦場にいた」というのがとても重要なキーワードなのではないかと、今回思いました。
彼が気楽な感じを装ってあれこれ楽しもうとするのは、やっと辛い戦場から戻ってこれたからこそ。
何人もの仲間を失った彼の目に、自分の危険を顧みずカジモドを本気で心配して助けようとしたエスメラルダの姿は、
とてもまぶしく映ったんじゃないかな、と。

★エスメラルダ

そんな視点で観ていると、カジモド、フロロー、フィーバスがエスメラルダを想ってうたう一幕最後の曲はとても味わい深いです。

彼ら3人にはそれぞれにテーマとなっているメロディーがあるのですが、
それがうまく絡み合って、迫力のある一幕最後でした。

<第二幕>

第二幕は展開がわりと早く、気づいたらエスメラルダの処刑のシーン、という感じなのですが、
フロローに死刑を宣告されたエスメラルダとフィーバスの最後の時間を見守る(?)兵士(かつフィーバスの友人)のフレデリック、良い役だなあと前回から思っていました(笑)

エスメラルダが火あぶりになる時、カジモドが無我夢中で助けに行くシーンはとっても好きです。

エスメラルダを抱きながら、「サンクチュアリー! 聖域だ!」と叫んで鐘つき塔に立てこもるカジモド。
すごく格好良い。

そしてここからラストまではいろいろ衝撃の展開なのですが。

カジモドの努力も空しく、エスメラルダは命を落としてしまいます。

そこへやって来たフロローを、憤ったカジモドが塔から落として殺すシーンの演出も上手い。
急にカジモドの背格好が大きくなったように見える動きと、
フロローが落ちるところ。
ちょっとトラウマになりそうな恐ろしさだな、と初回は思ったものですが、
この無慈悲な感じが良いと思います。

それでもフロローのことを愛していたカジモドが悲しむ姿はとても切ない。

そして特に何か救いがあるわけでもなく、物語はここで終幕。

ラスト、「普通の人間と怪物、どこが違うのか」というテーマが繰り返される演出があります。

カジモドはエスメラルダの遺体を抱いたまま死を迎え、自身も白骨化。
骨になったその腕をエスメラルダの体から離した瞬間に、その骨が砕け散ったというエピソードには心が震えます。

そんな悲しい物語ではあるんだけど、
ノートルダムのミステリアスな曲調にはよく合った展開とも言えるかなあと。

悲しいとか空しいとか、それだけではない余韻もあり、
そしてやっぱり生の舞台は良いなあ、と感じた観劇でした。

次回の四季観劇は、数年ぶりの『オペラ座の怪人』を予定しています!

なぜだか最近観たくてたまらないので、とっても楽しみです^^

Liebe Grüße,
Natsuru

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