『オペラ座の怪人』感想(ネタバレあり)その4です。
第二幕の途中から。
<ACT.2>
★墓場にて
クリスティーヌのソロ曲。
天国の父を懐かしみながら、墓場を訪ねて現実に向き合おうとするシーンです。
この作品にしては珍しく、他のどこでも使われていない(「アントラクト」除く)旋律なのがけっこうポイントな気がする。
ファントムの力の及ばない場所でクリスティーヌが自分自身の意思を奮い立たせる曲だから、
この曲はあまり他の曲と関連性がないのかなあ、とも思った。
(と言いながらも、この後すぐにお馴染みの旋律と共にファントムが現れるんだけど。。)
これも横浜公演からの変更点のようですが、
最後の歌詞が「どうぞ 力を与えて」から
「どうぞ 与えて力を」の2回繰り返しになりました。
しかも曲調もなんだか力強い感じに。
前までは消え入りそうなラストだっただけに、
クリスティーヌの意思の強さが表されてる気がしました。
そしてもうひとつ注目なのが、クリスティーヌがうたい終えてファントムが出てくるシーン。
「ここへおいで私の愛しいクリスティーヌ」のシーンですね。
海外版では「Wandering Child」と呼ばれるシーンらしいのですが、
ここに以前より早くラウルが登場する(海外版に倣っている)のも、横浜公演からの変更のようです。
今までクリスティーヌとファントムが「エンジェルオブミュージック もう一度 2人は共に」とうたうのが大好きだったのですが、
ラウルの乱入により、ここの歌詞があまりはっきり聞き取れなくなっています(笑)
でもすごくきれいで迫力のある三重唱で、聞いていてとっても幸せでした!
そして前回の記事で、クリスティーヌの「理性」と「感情」の対立について触れましたが、
私はクリスティーヌの感情、欲望が100%理性に勝ってしまうシーンが第二幕に3回あると思っていて、
そのうちの1回が、この墓場でファントムと同じ旋律をうたうシーンです。
ここではクリスティーヌとファントムの2人ともが、まだラウルがオペラ座に現れる前の、
「2人きりの世界」を生きていた時のことをはっきりと思い出しているのではないかな、と。
しかしやっぱりラウルの乱入によって、クリスティーヌは理性、自己抑制を思い出すのですが。
ここでファントムが杖から火の玉を出すのも、もうちょっと何かないのかなー、、とずっと思ってるけど(笑)、
やっぱり危険性を考えるとこのくらいが限界なのでしょう。。
★ドン・ファンの勝利
舞台の幕が開く前の緊迫感がこれまた好きですが、
以下のようなやり取りが非常に理不尽で、個人的にちょっと笑えてしまいます。
ラウル「(警備の男に)その時が来たら(ファントムを)撃て」
警備「その時とは?」
ラウル「その時が来ればわかる」
→いざファントムが突然現れて、警備が銃を撃つと
ラウル「その時が来たらと言っただろう!(怒)」
いざ書こうとするとだいぶうろ覚えですが、
いやいや、その言い方じゃわかんないって、とラウルに突っ込みたくなります(笑
そして「ドン・ファンの勝利」開幕!
何かただならないことが起こりそうな不協和音と妖しい舞台の登場人物たちが、
観ているこっちの不安を煽ってくるようです。
ここのシーン、一体どういう物語のどういう場面なのかもずっと気になっていたのですが、
以前バックステージ解説的なイベントで説明があったみたいですね。
ネットで検索して読んでいたのですが、
どうやらこの劇中劇の舞台に立っている人物は、「全員悪人」なのだとか。
それぞれの衣装や仕草にもやはり意味があるようです。
★ザ・ポイント・オブ・ノーリターン
何かと物議を醸している(と個人的に思っている)この曲。
舞台上でピアンジを殺し、ファントムがドン・ファン役にすり替わって現れる場面ですが、
ここのポイントは、「クリスティーヌは一体どの時点で、相手役の正体がファントムであることに気づいているのか?」ということかと。
これもバックステージ解説で実際に演じられている役者さんから説明があったようですが、
それによると最初は気づいていなくて、ファントムの仕草で徐々に「あれ…?」となる感じらしいです。
私も今までは、はっきり気づくのはうたってる最中なんだろうな、と思っていたのですが。。
よくよく考えてみると、クリスティーヌがファントムの歌声に気づかない、なんてことあるか??と。
そもそもクリスティーヌって、最初はファントムの声だけを聴いて歌のレッスンを受けてたはずですよね。
その時からあんなにファントムに焦がれ、陶酔し、「音楽の天使」と呼んでいたのは、その美しい声のせいだと思うのです。
その声を今更、ピアンジの声と聞き間違えるか?
ということで、個人的結論は、「クリスティーヌは初めから相手がファントムであることを知っていた」です。
それこそ最初の、「パッサリーノ 罠は仕掛けた」の部分から。
そして始まる「ザ・ポイント・オブ・ノーリターン」。
先ほど、第二幕でクリスティーヌの感情が100%勝つ部分が3回あると思う、と書きましたが、
2回目はここです。
ファントムの歌が終わり、何かを決意したようなクリスティーヌの表情。
それは「ドン・ファンの勝利」の中での役としての表情でもあるかもしれないけど、
私にはここで、クリスティーヌが自己抑制をなくし、(せめてこの舞台上だけでも)ファントムに心を捧げる決意をしたように思えます。
この後のクリスティーヌがうたう歌は、役としてではなく、
クリスティーヌ自身がファントムに向けたもの。
今まで少女がそのまま大人になったような雰囲気だったクリスティーヌだけど、
ここのシーンは歌詞も曲調もあいまって、とても官能的。
クリスティーヌは本来、理性も何もかも捨てて、こうした愛情をファントムに注ぎたかったのではないかと思う。
だからこそ、彼女はここでこんなに解放的にうたっているのだと思います。
ではなぜ、思うような愛情をファントムに注いでこられなかったのかと
言うと、
それはファントムを畏れていたから。
醜い顔ではなくて、殺人すら厭わない彼の狂気や、周囲の彼への評価、
彼を選んだとしても周囲には祝福してもらえない、
そんなことを畏れて、クリスティーヌの「理性」がファントムに愛を捧げることを抑制していたのだと思うのです。
舞台上でファントムに腕をつかまれて動揺するのは、
私の解釈では「ドン・ファンがファントムであることに気づいたから」ではなく、
この「理性」がクリスティーヌを我に返らせたから。
そして我に返ったクリスティーヌは、ファントムのかぶるフードを上げ、
刹那的な「2人きりの世界」の幕を閉じます。
そんなクリスティーヌを、ファントムはまた閉ざされた地下室へ連れ去るのです。
「ドン・ファンの勝利」はもともと、ファントムがラウルを地下室へ誘い込むための演目であったという説もありますが、
私はラウル云々よりも、ただファントムはこうしてクリスティーヌにもう一度触れたかったのではないかなと。
そしてここで、「オール・アイ・アスク・オブ・ユー」の歌をうたいながら、
ファントムはクリスティーヌに指輪をはめます。
一幕の最後で、ラウルとクリスティーヌのやり取りをただ見つめることしかできなかったあの敗北感を、
ここで晴らしているのだと思います。
などなど、思いつくままに書いてみました。
長くなりましたが、おそらく次でオペラ座の感想は最後です(笑)
よろしくお付き合いください(´v`*)
Liebe Grüße,
Natsuru
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