「人を救う力」って、どうやったら手に入るんだろう。
たとえばお医者さんとかだったら、持ち得る知識で文字どおり人を救うことができるし、
法律の心得があったりしたら、それを活かして誰かを救うこともできるんだろうなと思う。
でも必ずしもそういった専門的な分野じゃなくても、
「これを食べて元気になってほしい」っていう気持ちで作った料理が人を救うことだってあるし、
「誰かを助けたい」という気持ちさえあれば、
難しいことをしなくても、なんでも特別な力になるのかもしれない。
それを考えたとき、私が人のためにできることがあるとすればやっぱり、
「書くこと」なんだと思う。
自分の奥にある感情と向き合って、その感情を表すのにふさわしい言葉を見つけて、
その言葉で誰かを癒したり、ふるい立たせてあげることができたら何よりも嬉しい。
辛いことを経験した人、死ぬほど忙しく働いてる人、
そういう人を見るたびに言葉を探すけど、
もっとましな言葉、もっとその人の力になるような言葉がどうして出てこないんだろうって思うこともたくさんある。
精一杯の言葉を伝えているつもりだけど、
まだ足りない、何かもっと相手の心を包みこんであげられるような言葉がないかって、思ったりする。
でもやっぱり、それを探すのに近道なんていうものはなくて、
そのためには自分自身がいろんな経験をたくさんすること、
人を知って理解することが、ものすごく大事なんだろうな。
そんなことを考えながらも、自分の立場に置き換えてみると。
自分が辛い経験をしたときは、周りが自分のために発してくれた言葉なら、
どんなものだって嬉しく感じられるのも事実。
それぞれの人が自分の経験と照らし合わせて発してくれる言葉って、
やっぱりそれぞれに嬉しくて。
どれが一番とかじゃなく、選んだ言葉にその人の個性が出ているのが、
なんだか愛しく思えたりする。
もちろん、言葉ではなんとでも言うこともできるとは思う。
実際に思っていなくてもそれを口に出すことはできるだろうし、
それが文章なら尚更。
感情が伴っていなくても、文字に書くことは簡単にできる。
だけどその一方で、平面上の文章でだって、手書きじゃなくてメールでだって、
相手に心からの気持ちを伝えることは可能だと思う。
自分の心にある形のないものを、ひとつずつ丁寧に、言葉に当てはめていくことで。
いつかの記事に書いたように、私は「言葉」と、
それを使って紡がれる「文章」をとても尊いものだと思っていて、
相手に気持ちを伝えるには面と向かって話すのが一番というのもたしかなことかもしれないけど、
それができないような時には、文章で気持ちを100%伝えることだって可能だと思う。
私が文章を書くとき、何よりも念頭に置いているのは、
むかし読んだ村松恒平さんの本に書いてあったこの言葉。
「自分が心を動かさずに書いた文章が、他人の心を動かすことはない」
だから、本当に誰かの力になりたいと思うなら、それを願う心と向き合わないといけない。
人に何かを伝えたいなら、自分の心が突き動かされたそのときに、言葉を紡がないといけない。
そうして紡いだ文章のどこか一文でも、相手の心に響いてくれたら。
何かの活力になってくれたら。
そんな思いを最近あらためて感じたので、この場を借りて記しておきます。
Liebe Grüße,
Natsuru
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