一日中みっちり行われる語学講座は、実は午前と午後で別々の先生が担当していて、
午後はすでに紹介したトリクシー、
午前中は、トリクシーと比べるとだいぶ真面目な雰囲気の、レギーネ先生がドイツ語を教えてくれた。
レギーネは「規律と秩序」という言葉が似合う感じ(あくまでもイメージ)で、
「鉄の女」とまではいかないけれど、冗談はあまり言わないクールな印象。
トリクシーの授業に比べて、授業中も緊張感がただよっていた。
そのせいもあってか、ついつい授業中言葉少なになってしまっていた日本人の私たち。
レギーネの質問に競り合うように答えるイタリア人、アメリカ人の中に入っていけずにいると、
「もう少し積極的に発言するように」、と注意を受けた。
日本においては、授業中は黙って静かに先生の話を聞いているのが当たり前。
先生に指されないかぎり、普通は発言することもない。
だけど、ここは日本ではなく、文化もまったく違う場所だ。
当てられるのをただ待っているだけでなく、自分から発言しなくては。
面と向かって注意を受けて、ふつふつとそんな気持ちが湧き上がってきた。
何より、日本人は消極的で発言もできない、という印象を持たれるのは悔しかった。
だから、自分のドイツ語がどんなにたどたどしかったとしても、たくさん発言することに決めた。
その意欲が伝わったのか、私が口を開こうとすると、イタリア、アメリカ出身の同級生たちも黙って待っていてくれた。
その無言の後押しが、あたたかくて嬉しかった。
「日本人はなぜお辞儀をするのか」ということを説明しようとして、うまくドイツ語にできなかった時、
前の席に座っていたイタリア人のフランチェスカが、いち早く私の言いたかったことを理解して説明を手助けしてくれた。
そんなふうに助けてもらわなければ、まだまだ何も話せないけれど、
この日は一歩、他国からの留学生に近づけたような気持ちがした。
授業の後、スーパーで買い物をすませてから寮へ帰ると、家族が送ってくれた荷物が届いていた。
日本の自分の部屋にあったものや日本のお菓子。
懐かしいものがつまっていて、心配しながらも笑顔で送り出してくれた家族や友達の顔が思い浮かんだ。
明日からも頑張ろう。
授業中に湧いた意欲が、よりいっそう大きくなっていくのを感じた。